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「小沢征爾さんと、音楽について話しをする」を読んで妄想が暴走する新年なのだ。

たとえば・・・
オデの奥さんがとある外人の娘さんととても親しい仲で、
「うちのダンナはローリング・ストーンズが大好きでCDは全部持ってていつも爆音かまして聴いてるし、来日公演にも何度か行ったわ。おまけにバンドでストーンズの曲ばっかり演ってて、家でもヘタクソなギターでジャンピンジャックやらなんやらかき鳴らしているわ♪」と妻が言えば、
「あらやだ、そんなに熱心なら一度ダディとお話してみればいいのに。きっとおもしろいわよ」とその娘さん。
そう、その娘さんとはミック・ジャガーの娘さんだったのだ。
そんな経緯でついにオデは、プライベートで極秘来日中のミックを自宅に誘い数時間に渡って楽しいひとときを共有したってわけさ。
ストーンズのCDをあれこれ聴きながら、
「カバー・ソング時代の録音はやけに音が艶やかで臨場感溢れるんだけど、なにかカラクリがあるのかい?」とか
「69年のマジソン・スクエア・ガーデンの『Sympathy for the devil』のミックテイラーとキースのリードのかけあいは最高だったねぇ、でもキースの音はライヴ演奏時のものなの?」とか
「ロニーを迎えた76年のアヴトワールの演奏はとてもエキサイティングだったね、続く77年のエルモカンボ・クラブの演奏はあんなことがあったのにとてもリラックスして親密な雰囲気だね」とか
「ところでキースは次のライヴでかつてのようにまたちゃんと弾くようにはなるんだろうか?」などと言っては、
ストーンズという荒くれ者たちを1人でまとめあげてきた、名指揮者ミック・ジャガーの記憶の重箱の隅をチクチクつついて、想い出話しを次々と引きずり出してはひとりストーンズという迷宮の彷徨い人となるのであった・・・

と、たとえばそんな感じでしょうかね。

違いますか、まったく違いますか・・・そうですか。

それはそれとして、
村上春樹が音楽のことを文章にするとそれがクラシックであれジャズであれロックであれスガシカオであれ、不思議と聴こえないはずの音がそこらじゅうに充満してきて「早く聴きたい!」と思ってしまう、そういう魔術を持っている。
それが今度は当の本人を迎えての対談という禁じ手でもってせまってくるのだからたまらない。
そうはいっても実はオデはクラシック音楽というものがと〜っても苦手なのだ。
長くて単調で眠くなる、題名が「何番何調」ばかりでわけが分からない、特にオーケストラはうるさくてかなわない。
だいたいなんで楽譜通りに演奏しなきゃいけないのか理解できない。ジャズやブルースやロックのように自由に演奏したらいい。
それぐらいに思っている、だけど小沢征爾だけは別。
この本に書いてある内容のほとんどはまったくよく分からないんだけど、小沢征爾ってぇ人はイイねぃ。
真剣に音楽に向かうその姿勢、飽くなき探究心、子どものような純真さ、権威を感じさせない振る舞い・・・
聴いていない音楽がすでに聴こえるようです。
小沢征爾、絶対聴く、聴きたい、なんでもいいから聴きたい、でも何を聴けばいいんだろう?

「小沢征爾さんと、音楽について話しをする」