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♪あのころの僕より今の方がずっと若いさ〜♪ 映画「マイ・バック・ページ」は意外なことにオデの頭を悩ませるのであった。


昨晩は最終日ということで映画「マイ・バック・ページ」を観てきました。
何故これが観たいと思ったかというと・・・

まずは原作者である川本三郎、
かつて村上春樹と一緒に映画の本を書いていたことを覚えていて、こんな過去があったことを初めて知ってビックリ。いったい何者なのだという好奇心があったから。
監督の山下敦弘、
以前に監督した「リンダ リンダ リンダ」が大好きだったから。
マイ・バック・ページという曲、
もちろんボブ・ディランの名曲ですが、真心ブラザーズの日本語カバーもグッド(なんたってボブ・ディラン本人に認められて(?)ボブ・ディランの映画のサントラに収録されているのだ)。今回の主題歌は奥田民生も参戦してるけど、どうせなら全部日本語でやって欲しかった。いずれにしてもこの歌が好きだったから。
そして、映画「ノルウェイの森」との共通点、
時代背景、美術監督、松山ケンイチ・・・

シラケ世代だの新人類だのと言われたオデらの世代からしてみたら、60年代後半から70年代初頭という時代はあこがれの「熱い時代」なのですね。
ジャズにロックに映画に学生運動・・・なにもかもがむさっくるしいくらいに真っすぐで熱くてイカレていたようなイメージがあって、もしあの時代に高校生から大学生として生きていたら最高におもしろかったんじゃないかと思ってました。
きっと、ジャズ喫茶に入り浸りつつロックの台頭に心躍らせアメリカ映画で夢うつつになりながらも、ちょっとヘルメットかぶって機動隊に石でも投げていた・・・だろうか?

石を投げ損ねたまま社会人になったことに若干のうしろめたさを持つ新人記者クン(妻夫木聡)は社会の暗部を実際に体験せずしてなにがジャーナリストぞという熱い志が、新聞社という組織にあって空回りする毎日に陰々滅々。
そんなとき、石を投げることで自分の存在意義を証明しようとする口だけは達者な革命家気取りの男(松山ケンイチ)と出会い、接触を続けるうちにその魅力に引き込まれ、しまいには資金援助までしてしまう始末。
スクープをなんとかものにしたいという焦りとともにあったのはきっと、自分が投げられなかった石をこの革命家に託して、自分の中での「安田講堂」にケリをつけたかったのかもしれない。

で、その後は・・・いろいろ思うところがあってごちゃごちゃ書いたけどやっぱり消しました。
なんというか、新人記者クンが守ろうとした「取材源の秘匿」というのはオデにはとても理解を超えるものでどうにも整理がつかないものなのだなぁ。かつては「取材源の秘匿」に反したことでオウムの犯罪を助長したとされるTBSの問題なんかもあったし・・・。このへんは原作を読んでみないことにはよくは分からないかなぁ。

まぁ映画に限定してみれば、結局は稚拙で何も生み出さなかった学生運動の終焉に気づかず、誰も投げなくなった石をせっせと拾い集めたあげくその重みに沈んで行った不器用なボンボンにしか見えないのだ、この主人公は。
そういった意味では、妻夫木くんはあの救いがたい童顔を最大限に生かしたボンボンぶりでなんとか役目をまっとうしているようでした。

この映画は「ノルウェイの森」と一緒に観ると面白いかもしれません。
あ、いやこの映画はそれだけでおもしろいけど、「ノルウェイの森」はこの映画と一緒に観ることではじめて面白いと思えるかもしれません・・・。
同じ松山ケンイチ演じる主人公が見る景色のこちら側と向こう側が、ちょうど映像の色調の違いと合わさって、この時代の裏表がよく見えるような気がします。
果たしてオデがこの時代に生きていたらどちら側の景色を見ていたことだろか?



白か黒しかこの世にはないと思っていたよ
誰よりも早くいい席で いい景色がみたかったんだ
僕を好きだと言ってくれた 女たちもどこかへ消えた
あのころの僕より今の方がずっと若いさ



「マイ・バック・ページ」公式ホームページ




追記

やっぱりどうにも気になって原作本を読んでみました。
映画を見てオデが勝手に思い込んでしまった状況と明らかに違うことが何点かありました。
妻夫木くん演じる主人公は「新人記者クン」ではなくすでに3年の経験を積んでいて、政治的ではないコーナーも楽しんで取り組んでいて、それなりに充実した社員記者生活を送っていたこと。
時代的に全共闘、いわゆる学生運動は終焉を迎えていて、より政治的な過激派の時代にすでに移行していたこと。
よって、全共闘時代に好意的だった世間やマスコミも、過激派には批判的で嫌悪されていたこと。
などなど・・・。
そのうえで考えてみても、やはり作者が言う「取材源の秘匿」には違和感を覚えます。
この松山ケンイチ演じる過激派がどんなにインチキな奴であったとしても「『それなりの思想犯』であったがために『取材源の秘匿』を守らねばならなかった」と繰り返し作者が言うのですが・・・
なんだ「思想犯」って?罪も無い人を殺害しておいて「思想犯」だからどうなのだ?というのがとってもひっかかる部分で、気持ち悪い部分でもあるのです。
やっぱりオデにはよく理解できんのだなぁ、こりゃこりゃ。